【テラ・ラボ】2021年2月27日放送分

大楽
おはようございます。FirstMaker~希望のストーリー~。大楽聡詞です。この番組は、新しい時代を切り拓き、日本に新たな産業を起こそうとしている企業や研究者にスポットを当て、彼らが目指す未来をお聞きし、震災の復興、そして新しい産業のリアルタイムな情報をリスナーの皆さんに感じてもらおうという番組です。

そしていつものように番組アシスタントはこの方です。

田巻果奈です。よろしくお願いします。

田巻
いやあもうすぐ震災から10年になりますね、大楽さん。

大楽
ほんとそうですよね。10年前は田巻さんは小学生でしょ。

田巻
はいそうです。

大楽
僕はね、ちょうど新宿で働いてたんですけど。

田巻
新宿で。

大楽
そうだったんですよ。とにかく震災でいろんなものが変わりましたよね。

田巻
ほんと変わりましたね。私震災後地元いわき市でご当地アイドルをやらせていただいたんですけど、もう今は大学生になって、振り返るには早いかもしれないですけど、震災の記憶はきちんと残して、次の世代の人たちに伝えていきたい。役に立って欲しいなと思います。

大楽
ほんとそうだよね。あれから10年が経過して、技術革新で災害時の情報収集の方法もかなり発達しているということなんですね。今日はこれからの災害にも対応していくという最先端の無人飛行機の話題をお届けしていきたいと思います。この番組は FM岩手FM仙台ふくしまFMIBS茨城放送bayfm、以上太平洋沿岸5局をネットしてお送りしていきます。

今日のゲスト:株式会社テラ・ラボ 松浦孝英さん

大楽
FirstMaker~希望のストーリー~。今日は愛知県春日井市の株式会社テラ・ラボ代表取締役松浦孝英さんにスタジオにお越しいただきました。松浦さん、よろしくお願いします。

よろしくお願いします。

田巻
よろしくお願いします。株式会社テラ・ラボさんのご紹介をさせていただきます。
本社は愛知県春日井市。無人航空機の設計・開発の事業を行っています。開発拠点が福島県南相馬市の産業創造センターにあり、無人飛行機を活用して災害発生時の情報収集などをはかるサービスを展開している会社です。
代表取締役の松浦孝英さんは中部大学の職員として公共政策を専門としながら、同時に中部大学国際GIFセンターの研究員として長距離無人航空機の研究も行い、2014年にテラ・ラボを設立しました。

株式会社テラ・ラボ
https://terra-labo.jp/

大楽
はい。というわけで松浦さん、経歴がですね、通常技術系のベンチャー企業の創業者って技術出身の方が多いっていうのが僕の勝手な思い込みなんですけど、松浦さん公共政策が専門ということで、公共政策ってなんなんですかね。

松浦さん
はい。公共政策ってまあ小難しい字になるんですけども、実はですね、私はひたすら20代の時はボランティア活動をやっていて。

田巻
ボランティア。

松浦さん
ボランティアやってたんです。でその社会で起こる様、要するにみんなが困ってる、それ何とかしようねってお互いで助け合うというそういう活動がずっと続いてたんです。まあその最中に2011年の3月11日東日本大震災というのが起きたんですけども、そこのあたりから災害に向けて自分たち、そこに住む住人がどう立ち向かうべきなのかということを考えるようになったんですよ。ボランティアってのはご存じの通り自主的に動くっていう、こういうキーワードになるんですけど、それを学問化する。社会学とまあ最近では言うんですが、自分たちの住人目線から社会がどうあったらいいか、それを政策としてどう置き換えていくかっていうのが、この政策のとこではすごく求められる分野になります。

大楽
それっていつぐらいからそういうお考えが出てきたんですか。

松浦さん
僕はまあどうしてもボランティア活動っていうのが軸になってたんですけども、何て言うんでしょうかね、世の中にニッチというかですね、穴があいてるっていう感覚をずっと持ってたんですよ。世の中に困ってる人たちがいるんです。で、困ってる人たちを救済する仕組みがない場合が多い。

田巻
確かに。

松浦さん
そう。そこに目を当ててくと、ここってもっとこうなったらいいんじゃない、でそれをさらに調べてくと海外だとこんな事やってるよね、じゃあそれって日本の社会制度に新しくこうやって入れてみたらいいんじゃないってこれを組み立てる話をしてたら、それは社会学だし公共政策だってことある専門の先生たちに言われたんで、あ、僕はこれ突き詰めてやってみようと思った。

大楽
それ何歳ぐらいで思ったんですか。

松浦さん
それは23ぐらいですね。

田巻
23歳で。あと2年後なんですけど。というかその市民レベルからそんなことを考える人いるんですね。

松浦さん
これ1人でやってる時はそこにまで気づかないんですけど、1人が2人になって、2人が10人になって100人になって、場合によってはイベントで1万人になって、ってやってくと、政策っていうよりは社会を変えるパワーがつくようになるんです。だから政治にもすごい関心があったし選挙にもすごく関心が出るようになって。

大楽
点と点が繋がって線になって面になる。

松浦さん
そうですね、おっしゃる通りです。

大楽
すごいですね。23歳で。

松浦さん
23歳でもきっかけ。

田巻
スタート。すごいなあ。

大楽
なるほど。でもあの、今回ですね、東日本大震災のような大規模災害っての問題と課題とかがあると思うんですけど、それってあの危機対策の観点から見るとどんなことが挙げられるんですか。

松浦さん
私はさっき言った公共政策を専門に、名古屋市の危機対策局という中で、大学の研究員の立場であの共同研究をするということを2016年からやってたんですけども、今名古屋市では何が起きてるかと言うと、これから南海トラフ地震はいつ起こるかってことを言われてる。30年以内に80%の確率で起こるとも言われてるんですが、大規模な災害が中部地域だけではなくて、全国に、これから襲いかかるんじゃないかって言われた時に、東日本大震災もそうですし阪神淡路大震災でもそうです、あの時に何が起きてたかってことを我々がもっと知らなければいけないと思うようになったんですね。

大楽
過去から学ぶみたいな。

松浦さん
そうですね。東日本大震災の時にいち早く情報はちゃんと回収できてたのかどうかというのをちゃんと検証しましょうっていうことを名古屋市に持ちかけたんです。それでまあすごい表現的に適切かどうかはさておき、我々がまず真っ先に話をしたのは、死亡者数ってのはちゃんと把握できてるのかどうか。行方不明者数、これはどういうふうにカウントされてるのか。避難所にはどれだけ収容ができてて、どこに行けば適切な情報があるのか。それはどのタイミングで役所も含めて皆さんが把握できたかってそのタイムラインと時間軸を整理する作業をやりましょうっていう話をしてたんですね。

大楽
細かいですよね。

松浦さん
でもその細かい作業の初動の72時間で人の助かる数が大幅に変わるんです。だから72時間、場合によっては24時間、場合によっては数時間以内に情報を集めて全国から救助隊送り込んですぐ動ければいいんですけど、情報が止まるんですよ1回。

大楽
どうして止まるんですか。

松浦さん
要するに遮断されるわけですよ。災害が起きた場所が酷ければ酷いほどそこには空白の時間ができるんです。知らすことができない状況になる。だから、じゃあその状態に陥ったその地域はすごく大災害が起きてるんだけど、周りから知られずに数時間時間が過ぎるわけですよね。それを僕らはタイムラインっていう表現をするんですけども、南海トラフ地震が起こるとした場合に、じゃあ我々はどう備えるべきかってのをちゃんと住人目線から考えましょうよっていう話を持ちかけて、正確な情報を出すこととそれをいかにそこに住む人たちに知らせるかってことをやりたいと。

大楽
具体的にはどういった行動と言うか。

松浦さん
はい。行政とのやり取りっていうところで行くと、もう集めるべきポイントってのがあるんで、逆に自分が一人の研究者として集める事ってのできるだろうなと思って、その役割を明確に分けた方がいいと思うようになったんですね。先ほど言った避難所がどうあるかとか緊急輸送路がどうあるかとか鉄道とか、あと天候がその時どうなってるとかですね。そういう情報はやっぱりその行政としてちゃんと取りまとめて発信する必要があると思う。で僕が自分が今回無人航空機という分野に着手したのは、空から一気に情報収集する方が情報が早いんじゃないっていう仮説はひとつ立てたんですねその時。

大楽
なるほど。

松浦さん
じゃあ空ってどうやって情報収集してるのかっていうとこに行き着いたのが、僕自身がこの研究を始めた最初のきっかけにはなったんです。

大楽
何かがあった時にその空から情報を集めるっておっしゃいましたけど、その情報まずは吸い上げるにもいろんな装置とかが必要そうじゃないですか。

松浦さん
そうなんです。だから今衛星を使ったりとか、あるいはヘリコプターとかで災害が起きたところで情報収集をするんですけども、それってじゃあそこに住む住人の人達がすぐその情報見れてるかって言ったらなかなか難しい。開示されないんですよね。早いのはどっちかっていうと報道の方ですね。

大楽
そうですね。

松浦さん
報道の方が早いですどっちかっていうと。大規模災害が起こると自衛隊の管制下に置かれるので自由に飛べなくなるんです。救助が優先される。だから僕らは真っ先に地震が起きた、緊急地震速報が今ありますから、地震が発生した瞬間に高高度まで飛行機をあげて情報収集し続ければその管制下に置かれなくなるから、だからいち早く誰よりも早く飛行機を上空に飛ばして、全体の地図を作ったりとか、画像で被災レベルが一番ひどいとこを特定してそれを国に情報発信をして自衛隊派遣を1秒でも急いでもらうとか、そういうことをやるべきだっていうのを民間レベルで、研究者として考えて動き出すようにしてたんですよね。

大楽
やっぱりあの二次災害を防ぐって意味でもそういう情報収集っていうのが大切なんですね。

松浦さん
はい、そういう意味では本当にあの二次被害を防ぐための社会システムの中に我々が開発する長距離無人航空機っていうのを置き換えたいという風には考えましたね。

大楽
そういうのがあってやはりテラ・ラボさんを設立したということなんですかね。

松浦さん
はい、そうですね。あの全く新しい分野の災害システムになるので、我々が当初想定したのはかなり大規模なシステムになりますから、だからいきなりですね、全部のことやろうとせずに、一つ一つまず作り上げてみよう、自分たちがそもそもその飛行機が飛ばせるのかどうか、制御ができるのか、情報が集められるのか、それは実際に集めたものを情報として届けることができるのか、っていうこの辺りに分けて検証やってるんですけど、2014年創業から考えてその検証作業に4年ぐらいかかってます

大楽
4年。

田巻
そんなに。

大楽
検証ってそんなにかかるんですね。

松浦さん
かかりますね。でも逆に言うと、4年かけたからこそ我々に必要な予算感・チーム感ってのイメージができて、そしてそれに必要な総事業費ってのが産出ができ、そして我々は福島に行ってこれをやろうって話になったんですよね。

大楽
色々まだまだ伺いたいことはたくさんあるんですけど。

田巻
いっぱいあります。

大楽
後半もですね、引き続き松浦さんにお話を伺いたいと思います。

情報収集のための固定翼機型ドローン

大楽
今週は株式会社テラ・ラボ代表取締役松浦孝英さんにお話を伺っています。

田巻
そもそもの話なんですけれども、 この先ほどから話に出ている無人飛行機というのは、この飛行機型ドローンということでよろしいんですか。

松浦さん
はい、そうですね。飛行機の形をした固定翼機と我々呼んでるんですけども、これはですね、軽くてしなやかに作られてるんですが、500 km 以上飛ぶ飛行機として開発されてます。

大楽
500 km 以上。

松浦さん
500kmというとですね、東京から行くと福島まではゆうに行けます。

田巻
行けますよね。200kmくらいですもんね。

松浦さん
行って帰ってくるくらい。

田巻
そんなに。

大楽
あと通常の僕が思ってたドローンってあるじゃないですか、プロペラが4つついてる。あれだと正直そんなに飛べないじゃないですか。

松浦さん
そうですね。ですからマルチコプターって僕らは呼ぶんですけども、マルチコプター型のドローンと固定翼機型のドローンっていうのは全く異質な分野になっていて、マルチコプターはどうしてもモーターがたくさん回りますから、バッテリーたくさん食うんですね。で飛行機のやってくるとですね、推進力があればどんどんどんどん飛び続けることができるので、我々はマルチコプターよりも固定翼機の方が情報収集には向くと考えました。

大楽
そうすると、その情報収集のエリア自体も先ほどおっしゃってたように500kmというと、いろんなところいけますもんね。

松浦さん
実はですね、熊本地震が起きた時にぶつかったのは、現地に結局入れないんですよ、災害が起きると。遠隔から情報収集しに行くしか方法がなくなるので、そうやって考えるとやっぱ長距離飛べるって事はとても大事なことですね。

大楽
最初は松浦さん自身もドローンを。

松浦さん
やりましたやりました。もう何回も墜落しましたからね。

田巻
えー。でもやる側って大事ですよね。

松浦さん
やる側大事ですよ。だってやってないと何が問題かが見えない。

田巻
ほんとですよね。飛ばして途中で落ちちゃったらもう終わりですもんね。

松浦さん
そう。で何で落ちたかが自分で感覚的にわかるようになってきたかどうかからが開発のスピードが上がった瞬間だったので、やっぱりプロジェクトリーダーは全てのことは経験しとかないといけないと思いますね。

大楽
松浦さん自身東日本大震災の後被災地に中部大学の学生さん達と一緒にボランティア活動されたと伺ったんですけど。

松浦さん
当時私はボランティアを専門にずっと活動していたので、大学にボランティアセンターってのを設置したんですね。中部大学ボランティア・ NPO センターっていうんですけども、これはちょうど2011年よりも前に立ち上げていて、学生たちが大体年間300人くらいがボランティア活動で僕らんとこに集まってきてて、そのバックヤードで学生たちを募って現金集めて現地に送るっていうそういう役回りを始めてたんですね。で、もう一方で大学の職員の立場でやってたのが、被災された人たちがどういう状況にいるかってのをちゃんとリサーチするって、まあ学生部ってとこにいましたので学生たちの状況を把握するってことをバックヤードでやってたんですけども、一方ではそういうボランティア活動の斡旋ということを当時はやっていました。

中部大学ボランティア・NPOセンター
https://www3.chubu.ac.jp/v-npo/gaiyou/

大楽
あの時にこういう、なんていうのかな、してたら良かったことってありますかね。

松浦さん
色んな活動があってですね、色んな思い出が当時もあるんですけど、私が一番衝撃だったのはですね、仙台の女子学生がですね、僕のとこに10 kg の米袋を持ってきて、泣きながら「松浦さん、うちの実家農家なんだけどこの米誰も食べてくれないんです」って「誰も買ってくれなくなりました」って言って震災があった直後にですね。それを聞いた時にそのお米は当然いただいたんですけども、今何が起きてるんだろうかって思うような、その地震災害もそうなんですけど、もっと別の次元のことが起き始めていて、そこは無視できない部分。だけどあまり知らされてこない部分。その様を感じてから東日本大震災っていうものと被災地というのを強く意識し始めるようになったタイミングでしたね。

大楽
なるほど。僕は福島だったんですけど、その時には現地に入ることができなくて、現地の友達からこう情報が届くんですけど、テレビとかで見ると宮城とか岩手ってテレビ報道されるんですよね。で当時福島って全然テレビ報道されなくて、で困ってたのが例えばいわきから出たい、でも石油関係が来ない。それをどうにかメディアに伝えて欲しいっていうのが僕が言われて。

松浦さん
自分たちが何が必要かって事がちゃんと発信できるかどうかだと思うんです。やっぱり政策的に大きな側で動いてるものと本当に必要な部分に物が届かないっていうのはすごく相反した状態になるんです。偏るんですこの状態は。ですから、そこで自分たちが困ってる助けてください、で助けが得られるってこれって世の中の仕組みとして当たり前のような感じなんですけど、大規模な災害になればなるほど偏るので、我々はやっぱそういう知見をまず自分たちがリアリティをもって感覚的に持たないといけないし、元々その時に何が起きてたかってこと知った上で我々は飛行機を飛ばしますけども、ただ飛行機飛ばしただけでなくて、自治体や政府関係者ともっとこういう情報を得た方がいい、地元住民の人達とこういう連携をしたほうがいいよって言うそこをちゃんとくっつけたいわけですよね。

大楽
なるほど。今お話を伺いしてて、やはりこういう震災からってみんな目を背けたくなるじゃないですか。でも向き合う事によって次来た時にちゃんと防災できるんだよということはすごく大切なんじゃないかなっていうのが今松浦さんの話を聞いて思いました。

松浦さん
今愛知県に住んでますけども、我々の故郷がもっと大きな災害が起きるという危機感に追われてるわけですよ。だから福島に行くし、福島で学んで、あそこで何が起きてたかっていうのもっと知りたいし、それを活かすために我々自分たちの故郷、自分たちの家族地域を守るためにどういうアクションプランを今作るべきかっていうところをちゃんと見つめないといけないんだって言うには考えてますね。

大楽
こんなふうにいろいろお話を伺いできてありがとうございます。

田巻
ありがとうございます。

大楽
来週も松浦さんに引き続きですね、詳しいこういったお話をお伺いしていきたいと思います。松浦さんよろしくお願いします。

松浦さん
是非宜しくお願い致します。

田巻
よろしくお願いします。

エンディング

FirstMaker~希望のストーリー~。今週は株式会社テラ・ラボ代表取締役松浦孝英さんにお話を伺いました。

さあ、いかがでしたか。

無人飛行機で情報を収集するって未来の話みたいで面白かったですね。

そうですね。情報収集して分析が進むと二次災害、そういったことが防ぐことができるので、命に本当に直結することなんだよね。だから僕はそういうところすごく大切な研究をされてるんだなと思って。

本当に。これからもぜひ研究頑張って頂きたいですね。

そうですよね。